シンガポールの法律実務 ~日本と大きく異なる雇用法制~

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「会社は、責任ある解雇を」

先月5月24日に、シンガポールの人材開発省(MOM)、全国経営者連盟(SNEF)、全国労働組合会議(NTUC)の政労使3者で構成するパネルが、会社に余剰人員が出た際の解雇(整理解雇)の在り方に関する新たなガイドラインを発表しました。

このガイドラインによれば、会社内で余剰人員が発生した場合、「社員の技能を引き上げる、職務内容を設計し直す」などの、解雇を回避する手段を模索するのが望ましい。

それでも整理解雇をしなくてはならない場合には、

  • 客観的に解雇する社員を選ぶ、
  • 解雇が必要な理由を当該社員に説明する、
  • 賃金および解雇手当の全額を最後の就労日までに支払う、
  • 解雇対象の社員が再就職先を見付けるのを支援する、
  • 勤続2年(以前は3年)以上の社員には解雇手当を支給する、

などの規定に従うことが強く推奨され、「責任ある解雇」が呼びかけられました(*1)。

 

これを聞くと、日本の雇用法制を知っている方は、「えっ?それだけでいいの?」と思うでしょう。

日本では、社会的・経済的に会社に対して弱い立場にある従業員を保護するため、極めて従業員に有利な雇用法制となっています。例えば、解雇には客観的・合理的な理由(かなり厳格!)が必要であり、その中でも余剰人員を削減する整理解雇は、①人員整理の必要性、②解雇回避努力義務の履行、③被解雇者選定の合理性、④手続の妥当性といった観点から、その有効性が更に厳格に判断されます。

これに対して、シンガポールの雇用法制は、日本に比べて格段に会社に有利な内容となっています。代表的な例をいくつか見てみましょう。

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☞ 雇用法の適用範囲が狭い

まず雇用法(Employment Act)が適用されるのは、会社との間で雇用契約を締結し、その雇用契約に従って働く人に限定されます。つまり、雇用契約ではない、例えば、個人が独立した取引主体として会社に対してサービスを提供する人には雇用法は適用されません。

仮に雇用契約を締結した人であっても、船員、家事労働者、月収がS$4,500を超える管理職・上級職の人や、法定機関・政府で働く人には雇用法が適用されません(雇用法第2条)。その場合、その人の地位や権利は、全て会社との契約の内容に委ねられ、雇用法によって保護されません。この点は日本と似ていますが、日本よりも雇用法の適用範囲、つまり保護される従業員の範囲が狭いといえます。

 

☞ 残業代・休日労働手当が支給される人が少ない

雇用法上、労働時間の上限は、原則1日あたり8時間もしくは1週間あたり44時間と定められており、これを超えた場合には残業代の支給が必要です。この点は、日本とそれほど大きく変わりません。

しかし、実はこのルールが適用されるのは、①月収S$4,500以下の肉体労働者及び②月収S$2,500以下のホワイトカラー労働者に限られます(雇用法第35条)。この①または②に該当しない人に対しては、会社に法律上の残業代の支払義務はなく、残業代を支給するかどうかは、雇用契約の内容次第となります。これは、休日労働の割増賃金についても同様です。この点は、「年収1000万円以上の人は残業代なし」という、いわゆるホワイトカラーエグゼンプションの法制度の導入をめぐって議論をしている日本とは大きく異なります。

 

☞ 原則、解雇に理由は不要

雇用法上、会社は、雇用契約や就業規則などで別途合意・規定している場合を除いて、原則として、従業員に対して、その雇用期間に応じて1日から4週間前に事前通知をした上で、もしくは、事前通知期間分の賃金を支払うことによって、雇用契約を解消することができます(雇用法第10条・11条)。ここでも日本と大きく異なるのは、原則として、シンガポールでは解雇に理由は不要という点で、実際に従業員を解雇する場面でも理由を示さないことが一般的です。もっとも、冒頭で紹介したとおり、余剰人員を削減する目的で行う整理解雇に関しては、ガイドラインによって新たな規制がなされました(とはいっても、日本よりはだいぶ緩やかです)。

 

☞ 産前産後休暇と育児休暇が短い

日本では、出産する女性が、産前数ヶ月前から産後1年間程度の休暇を取ることが一般的ですが、シンガポールでは、児童育成共同救済法(Children Development Co-Savings Act)上、原則として、産前産後休暇は合計16週間、育児休暇は年間6日間と短く、その代わり休暇中の給料は国が負担します。実際にも、出産の直前(ときには前日!)まで仕事をし、出産後4ヶ月程度で職場復帰する女性が多く見受けられる点が日本とは大きく異なります。ちなみに、シンガポールでは、外国人のメイドに家事や育児を委託する文化が根付いており、また、外国人メイドの雇用にかかる税金を控除できるなど、働く母親を支援する制度が確立しており、だからこそ女性の早期職場復帰が実現しています。

 

☞ 最低賃金の制度がない

日本と異なりシンガポールでは、最低賃金の制度がなく、賃金は、会社と従業員間の雇用契約で自由に決めることが可能です。外国人メイドを日本でよりも安価で雇うことができるのも、このためです。

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☞ なぜこれほどまでに会社に有利な法制度なのか?

こうして両国を比較してみると、 シンガポールの雇用法制は、会社による従業員の搾取を助長する制度だと感じる方もいるでしょう。ですが、そもそもシンガポールがこのように会社側に都合のよい制度にした目的は、シンガポール経済の発展に貢献する外資系企業を誘致する点にあります。シンガポールは、国土が東京23区とあまり変わらないくらい狭く、人口も少なく(今でも、500万人台でそのうち国民は300万人台)、そのうえ資源もないという、国際競争的にはとても不利な境遇で国家運営をスタートしました。その恵まれない境遇を打破する策の一つとして、国を挙げての外資系企業の誘致と、それに伴う海外からの高度人材の受け入れ、そして英語の公用語化を含めた自国民の教育に、異常なまでに力を注いできました。その結果、世界中から外資系企業がシンガポールに進出して新たな雇用が作出されて著しい経済発展を遂げ、現在国内に設立された会社の24%程度は100%外資の企業、そして2015年における失業率はわずか1.9%で日本の3.4%よりも低く、失業率という観点でみると労働市場は極めて健全です。そこにシンガポールの転職社会という文化が相まって、たとえ法律上の解雇規制が緩くても、従業員からすれば、解雇のプレッシャーをそれほど感じず、むしろより良い条件の会社を求めて転職を重ね、会社側としても、優秀な人材を中途採用したい傾向が感じられます。

こうした点に着目してみると、シンガポールの雇用法制も現在のシンガポール社会においてはあながち従業員にとって酷なものではないのかもしれません。もっとも、他方で、外国人ばかりを優遇した結果シンガポール人の雇用機会が失われることを防ごうという考え方も最近強くなっており、冒頭にご紹介したような自国民の雇用を保護する施策も最近増えてきました(*2)。このように、雇用法制のバランスは、その時々の文化的・社会的背景から大きな影響を受けていることがわかります。

 

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政策の意思決定の速さから「巨大ベンチャー企業」にもたとえられるシンガポールが、今後どのようにバランスをとって雇用法制の舵取りをしていくのか。今後も要注目です。

 

 

*1 Tripartite Guidelines on Managing Excess Manpower and Responsible Retrenchment:これはあくまでガイドラインであるため、法的拘束力はありません。ただし、シンガポール人社員を標的にしたと思われる解雇や、解雇されたシンガポール人社員の後釜に外国人が座る結果になったなどの苦情があった場合、人材開発省は調査を行い、苦情が事実と判断すれば、外国人労働者就労査証の交付を制限する旨が公表されています。つまり、ガイドライン違反によって会社に事実上の不利益が課される可能性があるということですので、注意が必要です。

*2 他には、Visa発給要件の厳格化による外国人の受け入れ制限などが挙げられます。